体験的、医療不信と医師不信

医療の本分を失った今日の日本医療

脳卒中に限らず、病気で長期の治療、入院を経験された方とその家族にはご理解と共鳴をいただけると思うが、今日の日本の医療は医の本質を失ってしまってい る。 無論、すべての医療機関、医師がそうだと言うつもりは毛頭なく、大部分の医師は患者に、そして社会に奉仕しようと昼夜の激務に耐えていることは充分承知し ている。 しかし医療としてみると総じて全くの「患者不在」である。 昔は洋の東西を問わず「医は仁なり」が当然のこととされ、昼夜を分かたぬ過酷な仕事 にもかかわらず報われることが少なく、それゆえにこそ神様、仏様の次に「お医者様」として尊敬されてきたのである。 然るに今日の、特にわが国の医療機関 は「健康保険によって収入を保証された金儲けの機関」と化し、医師は「自分が学んだ旧態然たるいわゆる医学の常識を金科玉条として、それから一歩も踏み出 そうとせず、患者個々人の事情など全く斟酌しない医療労働者」となり、医師会にいたっては(今に始まったことではないが)患者のことより自分たちの「医師 相互の既得権益を守り、他からの改革(たとえば株式会社による医療など)に対しては狂ったように行動する」相変わらずの抵抗集団である。 私と家内がこの 5年間で経験した(学習した)事例を挙げれば枚挙に暇がないが、患者主導によるクリニックの必要を論じる観点から2~3の 事例を挙げることにする。

病院が総合医療機関として機能していない

家内は発症当時障害を受けた側の指はまっすぐであり、指先は僅かではあったがそれぞれに動かすことができたがその後親指が脱臼し、その他の指も萎縮してし まった。 T労災病院に入院してた4ヶ月の間(当然毎日診察を受けていた)、そして退院後(4年半、毎週2回診察とリハビリに通院)を通して再三治療を懇 請したにもかかわらず主治医は何の考慮も払ってくれなかった。 そして3年半ほど経過した後、TES(電気刺激療法) の指導を受けるために通院していたT大学病院の教授からT労災病院の整形外科に「指の専門医」がいるということを聞いて早速紹介状をもらい受診することに なった。 その「指の専門医」の言は「どうしてもっと早く来なかったのだ。 もう少し早ければ相当な改善が図れたのに」と言うものであった。 私が「先 生、家内は5年間毎週2回この病院のリハビリテーション科に通院していたのですよ」と言うとさすがにその医師も絶句した。 どこの世界に「リハビリの当初 からt 労災病院に5年も通っていて、同じ病院の医師の診察を受けるのに他の大学病院から紹介状を貰って受診しなければならない」などということがあり得るだろう か?

医師は所謂「医学の常識」の範疇を決して出たがらない

発症から半年もたっていない、家内がT 労災病院でリハビリを始めた当初、私と娘は必死に脳卒中に関する資料を集めていた。 そしてそれらの資料をもって当時は全面的に信用していた主治医に相談 に行った。 娘が「先生、私の母の場合こんな療法はどうなのでしょうか」などと無邪気に尋ねた。 とたんに主治医の形相が変わり「あんたのお母さんはね、 もうどんなことをしてもこれ以上良くならないのだよ!」とのたまわった。 これは現代医療と医師を全面的に信じて「藁をもすがる」思いでいる患者の家族に 言うべき言葉であろうか? 病院の廊下を、声をあげて泣きながら走る娘に看護婦長は「そんな事はありませんよ。 諦めずに頑張りましょう!」と励ましてく れた。 さらに1週間後の診察のときに、同医師は「どうだい、私の言った事がわかったかい」とにやりと笑って念押しをした。 また、「電気刺激療法の手法 を習得するためにT 大学病院に入院したい」というと、このときも顔色を変えて「私がやっている治療が信用できないのなら即刻退院していいのだよ」と言った。 CIセラピーの 資料を見せて専門家としての意見を聞いたところ、数日して読んでみたけれどこれはリハビリとあまり関係ないね」との全く見当違いの答え、読もうともしな かったことは歴然としている。 このような思考、態度は何もこの医師だけのものではない。 T 大学の教授にも同じく資料を見せたところ(もちろん英文のまま)読み始めたとたんに首を振り始めた、そして「医学的に言えば効果があるとは思えません」と いってその理由を説明してくれた。 さらにTaub 博士が神経学者(Neurologist)で医者でないことを知ると「やはりPh.d(医学以外の博士号)ですか」と軽蔑に近い感情をあらわにした。 医師は医師以外の者が医療の分野に立ち入ることを決して好まない、どころか嫌悪する。 この教授はアメリカの総合病院で2年余り臨床医として勤務した経験 があり、日本はもとより世界的にもFES(電気刺激によって物理的に手足を動かそうという研究)の権威として知られている。 その彼にしてこうである。   悄然として立ち去ろうとした私に教授は「もしかしたら、長時間集中的に行うことに何かの意味があるのかもしれません。セラピーそのものに害があるとは思 えませんから、お試しになることは結構だと思います」と言ってくれた。  私にとっては一つの救いであった。

医師同士の庇いあい、患者不在

ある総合病院の医師が私に「最近この病気に対する治療に関して、従来とは180度違った考え方が有効とされ、従来の手法はむしろ患者を害すると考えられる ようになったんだ・・・・」と滔々と語った。 一週間後に、たまたま同医師の診察室にいた私は信じられない言葉を聴いた。 ある患者が「現在開業医の先生 からこのような治療を受けているのですがさっぱり良くなりません。 このままで良いのでしょうか?」と相談していた。 それはまさに一週間前に彼が「現在 ではむしろ害があると考えられていると言った従来の治療法」であった。 しばらく躊躇した後の彼の答えは「現在診ていただいている先生に従って治療を続け なさい」であった。 そこには患者の回復よりも、医師仲間の面子を重んじる信じがたい医師の姿があった。 極論すれば、それは「患者の病状を悪化させなが らでも医師の村社会を守ろうとする犯罪行為」と言えなくない。 このような日本で、患者はセカンドオピニオンなど得られうべくもない。 
冒頭に記したように、すべての医師がこのようである筈もなく、大部分の医師は患者に、そして社会に奉仕しようと崇高な理想を持って医学会に身を投じたもの と私は信じる。 そして現在でもその崇高な理想を実現すべく昼夜の激務に耐えている医師たちが大多数であることを知っている。 しかしながら長年培われた 医学会の悪弊(医師会の考え方に代表される)に知らず知らずに毒された医師に遭遇する可能性は日常的に存在している事も現実である。 患者とその家族は もっと賢くならなければならない。 旧弊に捉われた現代医学が与えてくれないものは、我々患者と家族が自分たちで獲得しなければならない。 所詮この世は 「適者生存」で、患者と言う弱い存在は、家族とともに戦い、適者たるべき存在に自分たちの力で変えてゆかなければならない。